◆Sail of the Lord Church(セイルオブザロードチャーチ)に通う文系女子が<暮らしの中の気付きや出来事>を綴ります♪
かれこれ半年前の6月、夫の仕事に便乗して、それこそ10数年ぶり?(いや、もっとかも??)に横浜に行きました。
宿の真ん前が山下公園で、その公園に面した港に、大きな汽船が係留されていました。
パっと見の印象は...
何の変哲もない、ただの船・・・
しかし、次のアポまでに、空き時間ができ(夫は仕事)、
ふと、思い立って、300円で内覧できるというこの船(氷川丸)に行ってみたのです。
結論からいうと・・・
これが、めちゃ、見ごたえあり!
そして、深かった!( ゚Д゚)
氷川丸とは・・・
- 日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船。
- 1960年に引退後、1961年より山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン。
- 戦前の日本で建造され、現存する唯一の貨客船であり、貴重な産業遺産として、2016年に重要文化財指定。
(引用:日本郵船氷川丸 HPより https://hikawamaru.nyk.com/)
海外への交通手段が、唯一、船だった1930年代には、チャップリンや皇族も乗船したそうです。
船内に入ると、当時さながらの食堂や、読書室、一等客室、一等特別室、乗組員エリアなど見学できます。
アール・デコ調の内装に、テンション、爆上り(*'ω'*)
最後のコーナーは氷川丸の歴史を伝える展示エリアでした。
実は、氷川丸、只者、いや、只船(ただの船)・・・ではなかったのです!!!( ゚Д゚)
- 第二次世界大戦中は、病院船として、戦地の病院と日本を結び、傷病者の収容・輸送、治療、医薬品の補給等で用いられる。
計24回の航海で、3万人にのぼる戦傷病兵を輸送 - 病院船として任務遂行中、3度の触雷に遭遇するも、大破沈没を免れる。(他の船と比べて厚い鋼板で頑丈に造られていたそうです)
- 終戦時には、果物を大量に積んで復員兵を迎えに行く。
(南方で栄養失調の人たちに内地(日本)の新鮮な果実でビタミンをとらせたい・・・との意図で)
え・・・
氷川丸って・・・
すごい!
- カテゴリー4の スーパー・タイフーンにも(室戸台風って昭和の三大台風の一つらしい)、戦時中の3度の触雷にも、奇跡的に沈没を免れ、
- 貨客船としての機能のみならず、戦時中は、3万人もの傷病兵を運搬して、治療(癒し)の場を提供し、
- 終戦時には、たくさんの新鮮な食べ物(果物)を携えて、
復員兵を迎えに行き・・・
これって・・・
まるで・・・
キリストの人生のよう・・・
ではないですか!!!( ゚Д゚)
イエス様は、生きておられた時、キリスト出現を待ちに待っていたユダヤ宗教指導者たちから異端視され、迫害に次ぐ迫害を受け、十字架による死に至るまで、
苦痛と無念の連続でした。
しかし、その後、イエス様が蒔かれた福音の種は、確実に成長し根を張って、
2000年のキリスト教の歴史が流れてきました。
ヘブル2:18
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」
マタイ9:35
「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。」
そして、、、
氷川丸、パっと見(外側)は、<何の変哲もない、ただの船>
に見えたんです。
しかし、実際に、乗船して内覧してみたら(内側)、
実は、<スーパー見ごたえがあり、経緯深い、貴重な船>
でした。
これも、まるで、キリストのよう・・・ではありませんか・・・
使徒行伝4:11
「このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。」
いや~、氷川丸、すごい~、深い~~!!
と、しみじみ感慨にふけりつつ、300円の氷川丸内覧を終えた文系女子でした。
ぜひ、皆さんも、横浜に行かれることがあったら、氷川丸を訪ねてみてください☆
氷川丸、なめたらいかんぜよ!!!